言葉にはパワーがある。しゃべる事自体エネルギーを沢山使います。マントラの様な高い波動の音を流すと場のバイブレーションも高まり、良い空気が流れるし、ポジティブな言葉で場の空気も良くなる。ネガティブな事を話していた部屋に入ると重たいバイブレーションを感じ取る事ができるでしょう。
妬み、怒りやジェラシーの様な感情が燃焼できず、いつもゴシップやネガティブな事ばかり書いてる人や、言っている人のそばにいると、とても疲れるし、周りにも悪影響を及ぼしてしまいます。言葉の持つエネルギーは計り知れないのです。
ラム・ダス編の『愛という奇蹟ニーム・カロリ・物語』でマハラジは言っています、他人の悪いカルマがその他人の隣りに座ったり、同じ場に居合わせたりするだけで、人に影響を与える事がある。
これはちよっと怖い!でも確かにそうなんですよね。電車などから悪い波動を持ち帰ったりする場合もあります。言葉だけではなく人の放つエネルギー自体が重要なんですよね。もちろん、そのエネルギーのコミュニケーションツールとなる言葉は特にパワフルです。
アメリカ人のチベット仏教僧のペマ・チョドロンが言っていました、人間は自分がいかに残酷であるかに気づいていない、気づいていないまま日々、すごく残酷な事を自分にも、他人にもしてしまう。人は毎日の自分の言動や行動にとても無意識である。
注意深く、自己の言動や行動を意識する事は気づき、解放、realization, liberationへの第一歩。そのためにヨガや仏教ではサダナ(スピリチュアル・プラクティス)を行います。ヨガや仏教のサダナの一環でMaunaというプラクティスがあります。
Mauna とは内観と自己観察のため沈黙する時間を作る事。瞑想の様に、mauna はニルヴァーナ(涅槃)に達するための重要なプラクティスの一環です。もちろんニルヴァーナを目指していなくても1日に30分や1時間のmaunaを守る事で身体のエネルギーを充電し、精神を安定させ、落ち着きをもたらせてくれるし、魂と繋がる事ができるのです。
Rig-Veda (古代インドのヴェーダの聖典)やBhagavad Gitaでは 内観と自己観察のためmaunaは重要なサダナ、スピリチュアル・プラクティスだと説いています。
また、内観と自己観察はswadhyayaと言って、パタンジャリのヨガ教典で説かれている、niyamas の大切な一環。Mauna の時間を持ち、内観と自己観察する事で自己の燃焼できていない妬み、嫉妬、怒り、欲、という感情と向き合い、Sattvic mind サットヴィックな精神(気づきを得た性質、純質)へと浄化していく。ジェントルに内観を行う事は攻撃性をなくす(Ahimsa-nonaggression)ための第一歩。
Ahimsa、攻撃性をなくす事は騒がしい、競争社会に生きる我々にはもっとも必要だと思います。Ahimsa(攻撃性をなくす)もまたパタンジャリのヨガ教典で説かれているyamasの一環。ヨガのコンセプトは繋がっているのです。Mauna の時間を持つ事で、Swadhyaya、内観と自己観察を行う。Swadhyaya を行う事でAhimsa、攻撃性をなくす事ができる。
ドイツ語でSchadenfreudeと言う言葉があります。人の不運から喜びを得ると言う意味。我々の現代社会はある意味このSchadenfreudeがとても強く働いていると思います。受験、就職などなど小さいころから競争社会で生きる現代人、人の足をひっぱりながら勝ち抜く事が強いられているストレス社会です。
Schadenfreudeには英語の直訳はないとされていますが、この言葉の対義語がヨガ、サンスクリット語の
Mudita ー "sympathetic joy" or "happiness in another's good fortune"。人の幸運から喜びを得る。
社会の意識の改革、気づきを得た社会を作るには、地球レベルでの意識の改革を行うには、まずは自分から。そのためにもヨガ。我々はみんな、ハートセンターにはMudita、完全な喜びがあります。Mudita の無限の泉から飲む事ができれば自分の状況や精神状態が安定してくるので、人の幸運を妬まず、喜べる。
Mauna(沈黙)、Swadhyaya(内観、自己観察)、Ahimsa (攻撃性をなくす)、瞑想、アサナ、などのサダナを行うことでMuditaにアクセスしていき、サットヴィック・マインド、sattvic mind、純質な精神、心に近づく事ができる。
ヴィンヤサヨガのようなディープなアサナのプラクティスもまた内観、自己観察のための素晴らしいテクニックです。確かに、ヴィンヤサフローのプラクティスを続けていると心のフィルターの曇りがはれ、mudita、完全な喜びを感じられる瞬間、垣間見る事ができるのです(一瞬だけでも)。
ヴィンヤサの練習を続けていると攻撃的にならないし、精神が穏やかに、安定してくる、ネガティブな行動や言動を慎む事ができる、人に対して思いやりが持てる様になります。自分に余裕がなければ人に対してもネガティブになるばかり。ヨガは人類の自由のため、世界平和のために何千年も人類にserve、仕えてきている、これからもそれは変わらないのです。
注意深く、日々の自己の言動や行動を意識するため、チベット仏教僧のペマ・チョドロンの本からのアドヴァイスです→
Healing power of nonaggression 攻撃性をなくす事、Ahimsa のヒーリングパワー
神経症を表現するために言葉の持つパワーを使わない事
害をなす、攻撃性のある精神をもたない事
害をなす、攻撃性のある行動、言動を慎む
無知である事、自己の内側を観察できない事は最も残酷である
これが気づきを得た社会の基盤となる
"Not harming ourselves or others in the beginning, not harming ourselves or others in the middle, and not harming ourselves or others in the end is the basis of enlightened society. This is how there could be a sane world. It starts with sane citizens, and that is us. The most fundamental aggression to ourselves, the most fundamental harm we can do to ourselves, is to remain ignorant by not having the courage and the respect to look at ourselves honestly and gently. " (Pema Chodron: "When Things Fall Apart" p.38)
NUFF SAID