2008年12月18日木曜日
go deeper
ヨガのプラクティスを深めて行くと自然と真実 (satya)や生命の神秘を深く探究したくなります。もちろんハタヨガのプラクティスを通して肉体・精神の健康を手に入れ、持続する事はとても重要です。健康な肉体があるからこそ星空を見上げながら、本当の人生の意味、なぜ生まれて来たのかとか考える事ができる。
身体のどこかが重かったり、痛かったりしたのでは人生の意味について考える余裕もないかもしれません。
健康管理のためにプラクティスするハタヨガをただ肉体だけのプラクティスで終わらせ、浅い、表面的なヨガのプラクティスで留まらせるのはもったいなすぎると常々思っています。
ヨガに出会えたのは本当にラッキーな事だから浅く、表面的な所で留まらないで、ヨガが導いてくれる本来のゴールへ、解放、liberationに近づくために深く深く行きたい。なぜ生まれて来たのか?なぜ大切な人間としての命を受けたのか?
そんな "liberation" や "enlightenment" なんてほど遠い!高尚すぎるし絶対にありえない!って思えばそれはそれまでですが。 人間として大切な命を受けた意味は自分の本質に気づく事、"avidya" (サンスクリット語で間違った理解、無知)から解放され、目覚めへの道に向かって行きたいです。
今始めなかったらいつ始めるのだろう?なんのためのヨガのプラクティスになるのだろう?ブライアンがいつも言ってる事があります、 "こんなバカげたポーズだけがヨガだと思ってる?"
特に今は世界は大きな改革の時に来ています。決して平和ではない地球です。ドンパチドンパチ戦争は続いてるし、地球の人口の半分以上が一日$2.50以下の生活をしてるのです。氷河も溶けています。
この平和な日本で生まれた事が本当にラッキーで、物が溢れていて、満腹に食べれて、きれいな水が水道をひねれば流れると言う幸せ。
物質的には満たされてるのに、心からハッピーっていう人は何人いるのでしょうか?この幸せをあたりまえと思ってしまいがちだけど、世界を見渡せば決して当たり前ではないのです。
今日食べる事の心配やきれいな飲み水の心配をしなくていい日本に生まれてこれたからこそ、健康な身体さえあればヨガを通して生命の意味について深く考える事ができる幸せに恵まれています。
この様な時代だからこそ、スピリチュアルな意識の向上が必要ですし、みんなが求めているからここまでヨガの波が押し寄せて来ているのだろうと感じます。
物質的に裕福になっても心の平和が得られない、物を収集すればするほどハッピーになれると思っていたのに、いちだんと心に曇りがかかっていると言う現象はストレス社会のこれから解決して行かなければならない問題だと思います。
ヨガが特に物質的に裕福な先進国の中流階級に求められているのも、みんな表面的なとこから、もっと深い所へ行きたがってるからだと思います。スピリチュアルな意識の向上を求めているはず、なのでしょうか。
ヨギ・バジャン師が1960年の終わりアメリカに渡って長い間、秘技であったクンダリーニヨガを西洋に公開したのも、アメリカ人の若者はスピリチュアルな意識の向上を求めていると確信したからだそうです。
バガヴァン・ダス、ラム・ダスやジャイ・ウタール 等 バクティヨギが、現在のアメリカ人のマスターティーチャー達や当時の若者達がゴッソリと、スピリチュアルな意識の向上を求めてインドへ渡ったのも丁度この時期です。
インドでプラクティスされている大半のヨガは瞑想などのマインドのプラクティス、バクティヨガなどの信愛、献身のプラクティス( devotional practice) です。
"マトリックス" と言う映画で主人公が青いピルか赤いピルかどちらかを選ばなければいけないシーンがあるのご存知でしょうか。青いピルを選べば幻想の世界にとどまる事ができる、赤いピルを選べば真実を知ることができる。
選ぶのは他の誰でもない自分自身。ヨガをプラクティスしながら形だけの表面的な所に留まり、一層深い眠りへと入って行くか、ヨガの真実へ一歩前進するかは自分が選択する事。
ヨギの選択。Yogi's choice.
アナ・フォレストが着ていたフォレストヨガのタンクトップに "go deeper" と書いてありました。Deepに行くのを恐れないで、周りもきっとスピリチュアルなメッセージを求めているから。そうそう、表面的な事ばかりに捕われないで、just "go deeper"
Om Namah Shivaya
ラベル:
革命的なヨガプラクティス