6歳の甥と時間を過ごす事が多い。この位の年になるといろいろと話が出来ておもしろいし、大人には失われた発想、頭の柔軟さにいつも驚かされる。
最近は何か建築のデザインやインテリア、アートを観る度にこれ何?と聞いて来る。どこかのお店の壁全面のデザインを観てこれ何?デザインとかインテリアって説明してもわからない、何のためにあるの?何?何?って納得行く説明をするまで止まらない。
アートとかインテリアとかデザインをどう6歳児に説明したら良いかわからない私はハッピーになるために壁に付けるんだよって言った。そしたら、あ〜って納得した甥。そーなんだよね、アートもデザインも全て根本を正せばハッピーになるためのものなのだ。
私の通っていた学校ではジュニア・ハイスクールからシェークスピアを学び始める。担当教師がシェークスピアの作品の序論でまず言った事が "シェークスピアがなぜ朝起きて、名作を書きたいと思ったか知っているか?” 答えは夢もロマンもない、"それはお金がほしかったから" 。大作を書いたり、大仕事をするモチベーションがお金だったとしても、シェークスピアはお金を儲けたいと思った根本って言うのはハッピーになりたかったからなのだと思う。
どれだけ大金を持っていても心が満たされてなければ、ハッピーでいなければ意味がない。いろいろと複雑な人生、みんな必死に生きてる、でもみんな欲しいものは同じ。ハッピーでいたいと言うのは老若男女みんな同じ。表面的にはお金、名誉、地位、大きな家、がほしいのだろうが、結局そういった物質的な富を手に入れる事=ハッピーになれる、と思うからだろう。物質的に裕福になる事で心がハッピーに、自由になれるのなら、それはそれで良いのだけれど。
今、この瞬間にハッピーでいる事はなかなか難しい、この心。常に、あれが手に入れば、あそこに行ければハッピーに、仕事を変えればハッピーに、結婚できれば、子供がいれば、右に動けば、左に動けばハッピーになれる、と。でも右に動いた所で今度は左に動きたくなるし、仕事を変えた所で今度はデスクの位置が気にいらなくなるこの心。
ガンディはhappinessについてこんな事を言っている
" happiness is when what you think, what you say, and what you do are in harmony"
"自分で考えている事、言動、行動の調和が取れた時こそハッピーな状態である"
考えてる事、言動、行動、が調和してる事ってどれ位あるだろう?
ハッピーになるためには、私達の毎日の言動、行動に注意を払わなければいけない。私達の言動、行動全てが自分の身体に、霊/魂に影響を及ぼす。生きるのがどれだけ辛くても、自分のエネルギーをポジティブで創造的な方向に向ける事。私達はハッピーな時に他者にインスピレーションと影響を与え、喜びを与えられる。
何か選択をする度に必ずその選択の結果を強さと優美さを持って受け入れなければいけない。その選択の結果が辛くてもそのチャレンジを受け入れる。神の神聖な恩寵はそのチャレンジの中に身を潜め、私達がチャレンジにどう向き合い、リアクションするかで、その恩寵の灯りが内側に灯される。そして内側に光が灯されてこそ、パワフルに光り輝く事ができる。
ポジィティブな考えを持つ事がポジティブな言動、行動に繋がる。ネガティブな事を考えてれば、言動、行動も存在自体が陰気になる。
一瞬一瞬を、どの状況にいてもポジティブな方向に変えて行く事ができる事を忘れないでいたい。今日の言動、行動が明日の結果へと繋がる。一瞬一瞬の意識をハッピーでいられる事へ繋げていきたい。